お釈迦さまが生きていたころの僧侶は、自分の両親か同じ仲間である僧の死にあたってだけしか、葬送することはありませんでした。
もともと仏教の僧侶と葬儀は直接的な関係はなかったのです。
ではなぜ、仏式葬儀が広く普及したのでしょう。
それは、仏教が、死というものに対して「死」が穢(けが)れに満ち、悪霊が跳梁(ちょうりょう)する原因ではなく、浄土への旅立ちであるという見解を打ち出したからでした。
死者は浄土で救済されるという考え方は、遺された者にとっては心が救われる考え方だったからです。
日本の葬儀で仏式らしい最初のものは、推古天皇の30年(622)、聖徳太子が亡くなったとき、僧侶が呼ばれて読経したと『日本書紀』にあります。
しかし、天平宝勝((てんぴょうほうしょう)8年(756)聖武天皇崩御のとき、初めて焼香などをして仏式で葬られたというのが、正式な意味での最初の仏式葬儀ということになるでしょう。
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お釈迦さまが生きていたころの僧侶は、自分の両親か同じ仲間である僧の死にあたってだけしか、葬送することはありませんでした。
もともと仏教の僧侶と葬儀は直接的な関係はなかったのです。
ではなぜ、仏式葬儀が広く普及したのでしょう。
それは、仏教が、死というものに対して「死」が穢(けが)れに満ち、悪霊が跳梁(ちょうりょう)する原因ではなく、浄土への旅立ちであるという見解を打ち出したからでした。
死者は浄土で救済されるという考え方は、遺された者にとっては心が救われる考え方だったからです。
日本の葬儀で仏式らしい最初のものは、推古天皇の30年(622)、聖徳太子が亡くなったとき、僧侶が呼ばれて読経したと『日本書紀』にあります。
しかし、天平宝勝((てんぴょうほうしょう)8年(756)聖武天皇崩御のとき、初めて焼香などをして仏式で葬られたというのが、正式な意味での最初の仏式葬儀ということになるでしょう。