王子は、カピラ城にある四つの門から順次、出かけることになりました。
まず東の城門から出ると、よぼよぼに衰えた一人の老人の姿を目にします。
人生における“老い”の悲惨さをしたたかに認識させられ、王子は遊びに行く気をなくし、そのままカピラ城へと戻ってしまいます。
父王は、もう一度遊びにいくことをすすめます。
王子は、こんどは南の城門から出ます。
すると、やつれ果てた病人に出会ったのです。
また遊びに行く気持ちを失い、早々に戻ってしまいました。
三度目は、西の城門から出ます。
門を出たところでは王子は死人を見かけます。
人間はいかなる者も死すべきものであり、死からは決して逃れ得ないものだ、と自覚するのでした。
そうして四度目に残る北の門から出ます。
そこで王子は清廉(せいれん)な修行者に出会って、この姿にこそ、老・病・死の苦しみから抜け出る道があると信じたのでした。
こうして老・病・死という人生の基本的な“苦”に直面し、それは他人ごとではなく自らの問題として考えた王子は、ついに自分の進むべき道を見つけたのです。
最高の心理をつかむまで城には戻らない覚悟
老・病・死の苦しみの前には王位にともなう享楽(きょうらく)も空しく映ります。
お金や地位や名誉で解決のつかない人生最大の問題を解決するためにはどうすべきかの問いかけがつづきます。
こうして、長い間悩んだ王子は二十九歳のときに、“出家”を決意するのです。
そのとこにはすでにヤソーダラー妃との間にラーフラという男の子も生まれていました。
王子といえども人の子ですから、すべてを投げ捨て、肉親と離別することへの悲嘆(ひたん)があったことはまちがいありません。
その思いをふり切り、人びとが寝静まったのを見きわめてからカピラ城を出るのです。
この出城の際、王子は愛馬(白馬)カンタカにまたがり、馬丁のチャンナとともに出城した、と伝えられています。
王子は、アノーア河を渡り、マツラー国に入ったところでみすぼらしい衣服に着替え、さらに刀で髪を切ります。
そして、王族の衣装・装身具を従者のチャンナに与えて、こう言い残します。
「私は多くの人びとが苦しみから救われる道、最高の心理をつかむまで、もはやカピラ城に帰ることはない」
厳しい修行に明け暮れる
一人の修行者となった王子は、インドのさまざまな国を修行して歩きます。
王子は当時最大の強国といわれたマガタ国の都にある王舎(おうしゃ)城(じょう)に入ります。
そこは教育や文化の中心地で多くの修行者が集まっていました。
そして、まず禅定家(ぜんじょうか)に師事します。
「禅定」とは、坐禅瞑想によって精神統一をはかる修行法のことです。
王子は、無執着(むしゅうじゃく)の境地にほんの短期間のうちに到達してしまい、さらにその上の境地といわれるものにもすぐに到達してしまったのです。
しかし、そのいずれも老・病・死の苦悩からの解脱(げだつ)(悟りを開く)を果たすものではなかったのです。
〒 288-0074 千葉県銚子市橋本町1969-1銚子駅より橋本町一丁目バス停下車0分銚子電鉄本銚子駅下車5分
TEL 0479-22-0179 FAX 0479-22-0187
王子は、カピラ城にある四つの門から順次、出かけることになりました。
まず東の城門から出ると、よぼよぼに衰えた一人の老人の姿を目にします。
人生における“老い”の悲惨さをしたたかに認識させられ、王子は遊びに行く気をなくし、そのままカピラ城へと戻ってしまいます。
父王は、もう一度遊びにいくことをすすめます。
王子は、こんどは南の城門から出ます。
すると、やつれ果てた病人に出会ったのです。
また遊びに行く気持ちを失い、早々に戻ってしまいました。
三度目は、西の城門から出ます。
門を出たところでは王子は死人を見かけます。
人間はいかなる者も死すべきものであり、死からは決して逃れ得ないものだ、と自覚するのでした。
そうして四度目に残る北の門から出ます。
そこで王子は清廉(せいれん)な修行者に出会って、この姿にこそ、老・病・死の苦しみから抜け出る道があると信じたのでした。
こうして老・病・死という人生の基本的な“苦”に直面し、それは他人ごとではなく自らの問題として考えた王子は、ついに自分の進むべき道を見つけたのです。
最高の心理をつかむまで城には戻らない覚悟
老・病・死の苦しみの前には王位にともなう享楽(きょうらく)も空しく映ります。
お金や地位や名誉で解決のつかない人生最大の問題を解決するためにはどうすべきかの問いかけがつづきます。
こうして、長い間悩んだ王子は二十九歳のときに、“出家”を決意するのです。
そのとこにはすでにヤソーダラー妃との間にラーフラという男の子も生まれていました。
王子といえども人の子ですから、すべてを投げ捨て、肉親と離別することへの悲嘆(ひたん)があったことはまちがいありません。
その思いをふり切り、人びとが寝静まったのを見きわめてからカピラ城を出るのです。
この出城の際、王子は愛馬(白馬)カンタカにまたがり、馬丁のチャンナとともに出城した、と伝えられています。
王子は、アノーア河を渡り、マツラー国に入ったところでみすぼらしい衣服に着替え、さらに刀で髪を切ります。
そして、王族の衣装・装身具を従者のチャンナに与えて、こう言い残します。
「私は多くの人びとが苦しみから救われる道、最高の心理をつかむまで、もはやカピラ城に帰ることはない」
厳しい修行に明け暮れる
一人の修行者となった王子は、インドのさまざまな国を修行して歩きます。
王子は当時最大の強国といわれたマガタ国の都にある王舎(おうしゃ)城(じょう)に入ります。
そこは教育や文化の中心地で多くの修行者が集まっていました。
そして、まず禅定家(ぜんじょうか)に師事します。
「禅定」とは、坐禅瞑想によって精神統一をはかる修行法のことです。
王子は、無執着(むしゅうじゃく)の境地にほんの短期間のうちに到達してしまい、さらにその上の境地といわれるものにもすぐに到達してしまったのです。
しかし、そのいずれも老・病・死の苦悩からの解脱(げだつ)(悟りを開く)を果たすものではなかったのです。