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2021年09月01日(水)

釈迦 釈尊の入滅

釈尊の伝道活動は表面的な”慈(いつくしみ)”の心などではありませんでした。

すなわち、生老病死の苦悩から解脱を求め、その原因が自己へのいわれなき執着心にあると悟り、その悟りは、すべての存在は縁起であり、執着すべき実体はないと考えたのでした。

生老病死の苦悩の原因が生きている間じゅうはたらきつづけるのは釈尊といえど同じです。

縁起とははたらきともいえるからです。

釈尊は、すでに四十五年間もの間伝導の旅をつづけ、八十歳になっていました。

十大弟子の一人といわれ、常にそばにいて釈尊を助けた智慧(ちえ)第一の舎利子(しゃりし)、神通第一の目連(もくれん)という二人の弟子に先立たれ、いまは弟子のアーナンダ一人を連れての旅でした。

途中、クシナーラを通るとき、釈尊のことを聞いた鍛冶屋のチュンダは、ぜひ食事を供養させてほしいと願い出ます。

釈尊は喜んで受けますが、そのあとで厳しい下痢に襲われ、旅をやめねばならなくなりました。

苦しみのなかで釈尊はアーナンダに言います。

「私の生涯のなかで、大切な食事が二度あった。一度はスジャーターが供養してくれた乳粥(ちちがゆ)であり、もう一つはチュンダの食事の供養だ。チュンダに伝えてくれ。決してチュンダの食事で私が倒れたのではないと」

釈尊はこのようにアーナンダに頼み、沙羅樹(さらじゅ)の林の中、四方を二本の沙羅樹(沙羅双樹(さらそうじゅ))で囲まれた間に、北枕の寝台をつくらせ、右脇を下にし、右腕を枕にし、両足を重ねて身を横たえたのでした。

釈尊が亡くなるらしいとの知らせはたちまち多くの人びとに知れ渡り、人びとは釈尊のもとへ集まります。

集まってきた人々に向かって、釈尊は静かな微笑を浮かべて言いました。

「私の教えるべきことはすべて教えた。私亡きあとは教えをもとに怠らず励みなさい」

そして、永遠の眠りについたのです。

不思議にも沙羅双樹が純白の花をいっせいに咲かせたと伝えられています。

釈尊の入滅(にゅうめつ)、それは灯が静かに燃え尽きて消えていくようでした。

このことをサンスクリッド語で「ニルバーナ」といい、「涅槃(ねはん)」と訳されます。

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