我々が先祖の年忌・回忌を営む時、仏事に参加された親戚知人に供養する食膳のことを淨〆(お斎【とき】)といいます。
「斎(とき)」とは〝仏事の後に頂く食事のこと〟です。
その理由はいろいろあるでしょうが、生き物すべてひとつで、一番重要で尊厳なものは生命です。
その生命を保ち増長するものは飲食だからだと思われます。
国の政治の根本についてかの孟子は「民をして餓えざらしむ」が第一であるといっている。
仏事において、来席者にお斉を供養するようになった由来は、孟蘭盆施食供養の故事にもよっている。
また一説に、原始仏教教団では、釈尊を囲んで、仏弟子達が食事をしたのが常であり、その例にならって、先祖及び父母精霊を中心として、仏事に来席した人に食事を供養するようになったともいいます。
人間の社会では、食事を共にするということは、重要な意義をもつものであります。
ただ食事時であるからお斎を出す。
という儀礼的なものではなく、必ず出すべきものと考えるのが正しいとされています。
又お斎の供養を受ける側でも、楽しく頂いて、故人の思い出など話し合ったりし、親戚知友の紐を深め、連帯感を高め、助け合っていこうという気持を育てる事が大切となるでしょう。
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TEL 0479-22-0179 FAX 0479-22-0187
我々が先祖の年忌・回忌を営む時、仏事に参加された親戚知人に供養する食膳のことを淨〆(お斎【とき】)といいます。
「斎(とき)」とは〝仏事の後に頂く食事のこと〟です。
その理由はいろいろあるでしょうが、生き物すべてひとつで、一番重要で尊厳なものは生命です。
その生命を保ち増長するものは飲食だからだと思われます。
国の政治の根本についてかの孟子は「民をして餓えざらしむ」が第一であるといっている。
仏事において、来席者にお斉を供養するようになった由来は、孟蘭盆施食供養の故事にもよっている。
また一説に、原始仏教教団では、釈尊を囲んで、仏弟子達が食事をしたのが常であり、その例にならって、先祖及び父母精霊を中心として、仏事に来席した人に食事を供養するようになったともいいます。
人間の社会では、食事を共にするということは、重要な意義をもつものであります。
ただ食事時であるからお斎を出す。
という儀礼的なものではなく、必ず出すべきものと考えるのが正しいとされています。
又お斎の供養を受ける側でも、楽しく頂いて、故人の思い出など話し合ったりし、親戚知友の紐を深め、連帯感を高め、助け合っていこうという気持を育てる事が大切となるでしょう。