お釈迦様の葬儀は、その遺体は荼毘(だび)に付され、遺骨は分配され、各国に配られてそれを納めるための塔が建てられたといわれます。
日本での火葬も、葬儀にともなういろいろな習俗と同様、仏教伝来とともに行われるようになっていきます。
わが国の火葬は、文武(もんむ)天皇四年(七〇〇)、唐に留学して日本法相宗(ほっそうしゅう)を開いた道昭(どうしょう)(六二八~七〇〇)が遺言によって火葬されたのが始まりとされています。
宮廷では、大宝(たいほう)三年(七〇三)、持統(じとう)天皇の葬儀が火葬で行われたという記録があります。
しかし、これは記録上のもので、現実にはもっと早くから火葬が行われていたようです。
というのは、大宝元年に編纂(へんさん)された『大宝律令(たいほうりつりょう)』には、行軍中の兵士が死んだときはその場で死体を焼いて埋めるようにと書かれているし、東国の防人(さきもり)が死亡したときも柩を給付して焼くようにという記事があるからです。
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お釈迦様の葬儀は、その遺体は荼毘(だび)に付され、遺骨は分配され、各国に配られてそれを納めるための塔が建てられたといわれます。
日本での火葬も、葬儀にともなういろいろな習俗と同様、仏教伝来とともに行われるようになっていきます。
わが国の火葬は、文武(もんむ)天皇四年(七〇〇)、唐に留学して日本法相宗(ほっそうしゅう)を開いた道昭(どうしょう)(六二八~七〇〇)が遺言によって火葬されたのが始まりとされています。
宮廷では、大宝(たいほう)三年(七〇三)、持統(じとう)天皇の葬儀が火葬で行われたという記録があります。
しかし、これは記録上のもので、現実にはもっと早くから火葬が行われていたようです。
というのは、大宝元年に編纂(へんさん)された『大宝律令(たいほうりつりょう)』には、行軍中の兵士が死んだときはその場で死体を焼いて埋めるようにと書かれているし、東国の防人(さきもり)が死亡したときも柩を給付して焼くようにという記事があるからです。