日本真言宗の開祖 空海(774~835)
24歳の若さで「出家宣言の書」ともいうべき『三教指帰(さんごうしいき)』を執筆。
すなわち、三教(儒教・道教・仏教)で、順次前者を批判して、最終的には仏教がいちばんすぐれていることを説いた。
そして、804年に31歳で遣唐使の一員として入唐(にっとう)。
このときのメンバーの一人がのちにライバルとなる日本天台宗の開祖・最澄だった。
密教はインドで生まれ、中国に伝えられて、不空金剛(ふくうこんごう)(705~774)によって大成されてが、その後後継者である恵果(けいか)に空海は師事した。
唐の恵果から密教のすべてを伝授されたことによって、日本での真言宗は発展した。
空海は、恵果から譲れてたインド伝来の金剛界・胎蔵界の両秘法と多くの経典・仏像・仏画・法具のすべてを船に積み込んで帰国した。
帰国した空海は密教思想の体系化に力を尽くし、816年、高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)を創建。823年には、嵯峨天皇から東寺(とうじ)(のち、教王護国寺と号す)を賜わり、真言密教の拠点とした。
当時は一部の上流階級にしか学問機関は解放されていなかったが、貧富貴賤の別なく、多くの優秀な子弟に儒・道・仏、さらに法律・工芸・医学・音楽にわたっての教育をほどこした「綜芸種智院」(しゅげいしゅちいん)は、空海によって京都の東寺に初めてつくられた【総合学問機関】であった。
仏教界のスーパーエリート空海も前半生は、ほとんど謎に包まれている。
生年月日も、青春時代の行動も、また修行の内容もよくわからない。
ただ、出身は四国の讃岐国(香川県)の屏風ヶ浦に生まれたといわれている。
父は名門・大伴氏(おおともし)につながる佐伯氏(さえきし)。母方は渡来系の氏族・阿刀氏(あとし)。
空海は、嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)「三筆」の一人とされている。
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日本真言宗の開祖 空海(774~835)
24歳の若さで「出家宣言の書」ともいうべき『三教指帰(さんごうしいき)』を執筆。
すなわち、三教(儒教・道教・仏教)で、順次前者を批判して、最終的には仏教がいちばんすぐれていることを説いた。
そして、804年に31歳で遣唐使の一員として入唐(にっとう)。
このときのメンバーの一人がのちにライバルとなる日本天台宗の開祖・最澄だった。
密教はインドで生まれ、中国に伝えられて、不空金剛(ふくうこんごう)(705~774)によって大成されてが、その後後継者である恵果(けいか)に空海は師事した。
唐の恵果から密教のすべてを伝授されたことによって、日本での真言宗は発展した。
空海は、恵果から譲れてたインド伝来の金剛界・胎蔵界の両秘法と多くの経典・仏像・仏画・法具のすべてを船に積み込んで帰国した。
帰国した空海は密教思想の体系化に力を尽くし、816年、高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)を創建。823年には、嵯峨天皇から東寺(とうじ)(のち、教王護国寺と号す)を賜わり、真言密教の拠点とした。
当時は一部の上流階級にしか学問機関は解放されていなかったが、貧富貴賤の別なく、多くの優秀な子弟に儒・道・仏、さらに法律・工芸・医学・音楽にわたっての教育をほどこした「綜芸種智院」(しゅげいしゅちいん)は、空海によって京都の東寺に初めてつくられた【総合学問機関】であった。
仏教界のスーパーエリート空海も前半生は、ほとんど謎に包まれている。
生年月日も、青春時代の行動も、また修行の内容もよくわからない。
ただ、出身は四国の讃岐国(香川県)の屏風ヶ浦に生まれたといわれている。
父は名門・大伴氏(おおともし)につながる佐伯氏(さえきし)。母方は渡来系の氏族・阿刀氏(あとし)。
空海は、嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)「三筆」の一人とされている。